撮影:原 祥子
「京都らしく」あることが、変化を起こす。自然と歩んできた伝統文化の担い手が、今思うこと。
撮影:原 祥子
今回はそのメンバーの中から、いけばな、漆工芸、能楽に携わる4名の方に集まっていただき「自然と共生してきた伝統文化の今とこれから」というテーマで話していただきました。
京都の伝統文化は、これまで自然とどのように関わりながら培われてきたのでしょうか。そして今、どんな変化が起きているのでしょうか?普段大切にされていることや、私たちが行動を変えるためのヒントまで、お話をうかがいました。
■インタビュイー:
笹岡隆甫 氏 華道「未生流笹岡」家元
三木表悦 氏 漆工芸家
橋本忠樹 氏 観世流能楽師
曽和鼓堂 氏 能楽囃子幸流小鼓
「DO YOU KYOTO ? ネットワーク」とは
地球温暖化をはじめとする環境問題について、自然と共生する持続可能な暮らしを実践してきたまち・京都から声をあげようと、京都の伝統や文化に携わる若手文化人の方々が集い、平成21年7月に設立された団体。メンバーがそれぞれの分野で、地球温暖化防止に向けた取り組みの輪を広げています。
トークイベントの様子
・伝統文化から気候危機を考える in 青龍殿
・2050年CO2排出量正味ゼロを目指して by DO YOU KYOTO ? ネットワーク
日本文化は「人間も自然の一部である」と伝えるもの
土門 蘭(以下、土門) 今日はお集まりいただきありがとうございます。まずは自己紹介とともに、それぞれの伝統文化がどのように自然と共生しながら紡がれてきたのか、教えていただけますでしょうか。
笹岡 隆甫さん(以下、笹岡さん) 華道家の笹岡隆甫です。室内に花を飾るのがいけばなですが、これは自然を切り取り家の中に持ち込む行為。このように、いけばなは特に自然に近い文化ですが、いけばなに限らず、日本文化とは「人間も自然の一部である」という考え方を伝えるものだと考えています。人間と自然は対立するものだと思われがちですが、もともと人間は自然の役に立つこともしているし、自然から恩恵も受けている。そんな価値観を発信することこそが、日本文化が担うべき役割ではないかと思うのです。
写真下:八つ橋の景(写真提供:未生流笹岡)
笹岡さん 例えばいけばなを見た後に、自然の見方が変わることがあります。散歩をしていたら身近な草花に目が留まったり、「きれいだな」と思うようになったり……それを切って飾るのがいけばなですが、「今はこんな花が咲いているんだな」と自然の美しさを感じ取っていただくだけで十分。その気持ちこそが、自然を身近に考えるきっかけになるのではないかと考えています。
三木 表悦さん(以下、三木さん) 漆工芸作家としてものづくりをしている三木表悦です。もともとは「三木啓樂」と名乗っていましたが、一昨年、4代目・三木表悦という名前を受け継ぎ、代々仕事をさせていただいております。
漆は、昔は生活のどの場面でも使われていました。例えば、京都の二条城の門などには鉄の鋲が打ってあるのですが、金属だと錆びてしまうので、それを防ぐために昔は漆が塗られていました。また、身近なところで言うとお椀やお箸ですね。樹木は生き物なので、樹木を素材としたものには人の血管と同じように管が通っています。そこに、漆の樹液を塗ったり流し込むことで、補強しコーティングする。樹木は樹皮があれば、普通の雨風ではビクともしませんよね。漆の樹液にはその力が込められているのです。そのように、昔から漆は至るものに使われてきました。
写真下:水面香皿 白蝶貝蜻蛉(写真提供:漆工芸 三木表悦)
三木さん また、「漆はどのように採るんですか」とよく聞かれますが、漆は樹液なので、ウルシノキをちょっと傷つけてやると出てきます。動物の血と同じように、樹液を出すことで傷を塞ごうとするんですね。それを少しずつ繰り返し、夏の間集め続けて、20年ものの樹で200ccくらいになります。そんなふうに人間と自然が関わりながら、漆工芸は続いてきました。
今は工場で大量に作れる合成樹脂もできて、塗料の価格はどんどん下がっているように感じますが、漆工芸は人件費がかかるぶん価格が下がりません。だけど、自然の中を循環して、使い終わってもいつか地面に返っていく……そんなエコでサステナブルな技術が石器時代から行われていたんだということを念頭に置きながら、いつも作品作りを行っています。
橋本 忠樹さん(以下、橋本さん) 観世流の能楽師、シテ方をしております橋本忠樹です。シテ方は主役を担うもので、謡や舞も専門にしております。
写真下:生け花と能の会 能「吉野天人」 シテ 橋本忠樹、生け花 笹岡隆甫(写真提供:観世流能楽師 橋本忠樹)
橋本さん 能は演目が200数十曲あるのですが、中には自然の景色を愛でるものから、お花の精、樹木の精そのものを演じることもあります。私たちは舞台の上で演じることで、自然の素晴らしさを伝えたり、自然の気持ちを伝えたりなどしているのです。
そのように能を通して、昔の人が考えていたことを、形を変えずに後世に伝えてきました。それを壊さず、つなげて、かつ今の時代に合うように、マイナーチェンジをしながら続けております。
曽和 鼓堂さん(以下、曽和さん) 曽和鼓堂です。僕も同じく能の世界で、鼓の専門職をやっています。鼓と自然との関わりと言うと、僕の使う楽器は若干の湿気が必要なんですね。演奏するときには、常に湿気や風など、空間の音の流れについて意識しているんです。
室内で鼓を鳴らすと、コンクリートの壁で塞がれていたり、エアコンで乾燥していたりして、屋外で鳴らす音と全然違って聴こえます。特にこの夏は暑くて、エアコンがギンギンにかかっていましたよね。それが直に当たると、人のお肌と一緒で、鼓の革が突っ張ったり割れたりするんです。だから僕たちにとっては、自然との戦いというよりも、近代的な建築物や機械類との戦いという感じなんですね。
写真下:独調 小鼓 曽和鼓堂、謡 橋本忠樹
曽和さん 今は室内で演奏することが増えてきましたが、実際は自然の中で演奏した方が、楽器にも体にもいいんです。エアコンで無理に温度調節すると、体に負荷がかかるのと同じで、楽器にも負担がかかる。あるがままの自然環境で演奏させてもらうのが一番なんですね。例えばこの間は上賀茂神社で演奏させていただきましたが、やはりああいう外気の中で演奏した方が、本来の鼓の音色になります。自然の多い場所で演奏するのが、鼓の本来の音色に近いものが出るのだろうと思いますね。
土門 ありがとうございます。それぞれの伝統文化が、それぞれの方法で自然と関わってきたことがよくわかりました。
いつか「春には桜」も昔話になるのでは?
土門 環境問題が深刻化していく中で、今伝統文化にどんな影響が出ているか、お話しいただけますでしょうか。
笹岡さん いけばなの世界では、花の時期がずれたり、手に入りにくくなっています。季節の花を生けるのがいけばななので、1月なら松、2月なら梅、3月なら桜、4月なら牡丹、5月なら杜若……と決まっているのですが、まずこの時期がずれてきている。特に杜若はうちの流派の花で、しょっちゅう生けるためいろんな所で育てていただいているのですが、温暖化の影響なのかは定かではないでものの、病気や害虫の被害を大きく受け、絶滅する可能性もあると聞きます。
また、いけばな展に適した時期は10月です。10月は秋草や実もの、紅葉など、さまざまな花材がそろう時期で、当流では毎年10月の第1日曜日に展覧会を開催していたんです。しかし近年はあまりに暑く、袷など暑くて着ていられない。それで開催日を第2日曜に遅らせることにしました。このように、季節がずれていくのを実感します。いつか「春には桜が咲いていた」というのが昔話になるのではないかと、懸念しています。
土門 本当にそうなるかもしれないのが恐ろしいですね。それに対し、笹岡さんはどのような変化を起こそうとされていますか?
笹岡さん 気候変動による花の変化など調査はしているのですが、まだそれに対して具体的なアクションまではたどり着けていません。今後は「花を育てる」部分にアプローチするのも必要なのではと思います。
ただ、私の専門は「環境問題」ではなく「いけばな」なので、やはり「日本の美しい文化を知っていただく」という仕事をまっとうするのが一番だと思いますね。それをきっかけに、人間も自然の一部なのだと思い出していただき、環境を考えるきっかけを作ること。そんな活動をさらにアップデートしていくのが大事だと考えています。
笹岡さん ここ10年の間にお寺で花を生ける機会が増え、感じたことがあります。お寺は自然が近く、縁側を通して中と外が緩やかにつながっていますよね。目の前の庭や遠くの山を望み花を生けながら、「やはり、このような空間で花を見るのが大切だな」と思ったんです。お寺や神社といった、自然との距離が近い古建築を残すこともまた、自然を守ることにつながるのではないか。そんな場所を通して発信していくことも、私にできることの一つだと思っています。
「価値あること」が人を動かす
土門 では、三木さんはいかがでしょうか?
三木さん 漆の領域で言うと、気温が高くなることで植生の位置が変わってきています。例えば南の方で取れていたものが、北で取れるようになってきている。人間というのは、自分にとって都合の良い状態をベストだと捉えるので、そうじゃなくなったときに対応ができなくなるものです。そこで大事になるのは、どう対応するかなんですね。
僕は、伝統文化とは「時代を超えた情報共有」だと思っています。何百年も前に発信者はいなくなっているのに、今も僕たちはその頃の情報を受け取り、「平安時代の人はこんな恋愛をしていたんだ」「こんな思いをしていたんだ」など共感している。そのように、私たちは歴史からいろんなことを学んできました。過去から押し付けられたのではなく、現在の私たちが選んで共有しているのです。
今、伝統工芸の世界に必要なのはそれだと思います。少し前までは、「伝統工芸品だから大事にしましょう」という風潮がありましたが、伝統工芸品だから大事にしなくてはいけないというのは誰が決めたのでしょうか? 手に取って素直に「素敵だな」「いいな」と思えるものこそ、大事に長く使ってもらえる。そういうものが伝統工芸品として残り、それ以外のものは消えていくものだと思います。工業製品はとっくにその転換期を迎えていましたが、伝統工芸品にも今その転換期が来ていると思うんです。
三木さん その中で僕たちがしなくてはいけないのは、「価値を作ること」。それは、ものを作ることと同義です。ただ「伝統だから残さなくてはいけない」のではなく、「価値があるから残したい」と思われなくては生き残れない。そのためには、人に共感してもらわないといけません。例えば子供たちは漆のことなど知らなくても「これ、なんかきれい」って言ってくれることがありますが、そう感じてもらえることがとても大事なんです。
土門 本当にその通りですね。環境問題も同じで、義務だと腰が重たくなりますが、「価値があるから残したい」と心から思えたら、自然と行動に移せる気がします。
三木さん そうですよね。「昔はよかった」とか「やらなくてはいけない」のではなく、「価値があるからしたい」となれば、行動が変わると思う。そのように伝えること、共感させることが、私たちに求められていることだと思いますね。
室町時代から続く京都の景色が変わり始めた
土門 橋本さんはいかがでしょうか?
橋本さん いま三木さんが「時代を超えた情報共有」とおっしゃいましたが、能って室町時代からずっと変わっていないんです。何百年もの間、形を変えずに受け継がれてきました。
実は京都の街も同じで、私たちが謡う室町時代のころとほぼ景色が変わっていません。条例によって景観が守られ続けてきたからですが、それがここ10年の間に、地球温暖化の影響で急激に変わってきています。桜の時期や紅葉の色づき方など、いろんなことが変わってきているので、このままいけば私たちが伝えるものが「昔の日本」になってしまうなという懸念を持っています。
土門 何百年も変わらなかったものがこの10年で変わっている……それはショッキングな事実ですね。
橋本さん ちなみにこの間、自分の能面を出したらカビていたんですよ。こんなこと初めてで驚きました。冠もなんだかネバついていて、もしかして溶けているのかな?と。それを見て、気候が変わったことをリアルに感じましたね。本当にこの頃の暑さは異常ですから。
だけど、うちの小3の子からしたら、この夏の暑さって「普通」なんですよね。桜がどうの、紅葉がどうのと言っても、若い人にとってはこれが「普通」で「当たり前」。だから三木さんの言うように「わしの若い頃はよかった」と昔話を言っても、なかなか伝わらないと思うんです。能面がカビるようになってしまった、という変化を彼らは体験したことがないので。
だけど、「地球が変わってきている」ということに、まず気づいてもらうことはできると思います。何百年も景色が変わってこなかった京都が、この10年で変わってきているのは異常だと。能や「DO YOU KYOTO?ネットワーク」での活動を通じて、その現実を伝えることが、私たちにできることではないかと思いますね。
「過ぎずに生きる」のが京都らしさ
土門 曽和さんはいかがでしょうか。
曽和さん 今回のコロナ禍で、世界中の人が何らかの形で一旦停止することを経験しました。一方で、これまでが異常にせかせかしてエネルギッシュすぎた、と気づく機会だったとも思います。今までは同じ場所に人がたくさん集まったり、需要以上に生産されてゴミが出たりと、とにかくエネルギーが加熱していた。今回のことで「一旦立ち止まる」「のんびり生きる」ということを学んだのではないでしょうか。
曽和さん 本当は、暑かったら日陰を歩けばいいし、昼間暑いなら夜に活動すればいいんです。僕は完全着物の生活をしていて、暑い日や雨の日には困ることもありますが、暑いなら暑いなりの、雨なら雨なりの過ごし方があります。そのように、過度にエネルギッシュであることをやめれば、地球の温暖化も鎮火するように思うんですよね。
土門 自然を人間の都合に合わせるのではなく、自然に合わせて生きるという?
曽和さん そうそう。そっちにエネルギーを使えばいいんじゃないでしょうか。なんでも過剰にするのではなく、「過ぎずに生きる」ことが大事。それがある意味で「京都らしい」ということではないかと思います。例えば、大きいお豆腐と小さいお豆腐が同じ値段であったとしたら、つい大きい方を買いたくなるけれど、今日食べる分だけを買う。無駄にしないで、余らせないで、始末する。それが本来の「京都らしさ」のように感じますね。
日常の中で「変化」を起こすきっかけ
土門 それでは最後に、環境問題に対して行動を起こす、「変化」のきっかけとなるようなアドバイスがあれば教えてください。
笹岡さん まずは道端の花に目を留めることからでいいと思います。散歩して、道草をして、きれいな花を見かけたらスマートフォンで写真を撮って。それに一言添えてSNSにアップするだけでも、自然との距離がグッと近くなるのではないでしょうか。曽和さんの言う「足るを知る」的な考え方も、そういった身近なことから始まるように思いますね。
三木さん 僕は逆に、スマートフォンを使わない時間をあえて作ってみるのもいいと思います。例えば旅に出たときなんかは、スマートフォンやテレビを使わないことを試してみたら「ない」ことに慣れるんじゃないでしょうか。そうすることで、風の音を聞いて、景色を見て、五感で感じられたら、自然をもっと身近に、大切なもののように感じられると思います。
橋本さん 私は、「ご自身の昔の写真を見る」ことをおすすめしますね。旅行の写真でもいいし、住んでいる街の景色でもいい。写真はその人自身の伝統ですから、今との違いもわかると思います。「この大きな樹がなくなったな」とか「この時期涼しかったのに今は暑いな」とか、自分を振り返るとより変化を自分ごととして感じられる。そこから始めるのも大切だと思いますね。
曽和さん 僕はいつも言っているけど「らしく生きる」ことが大事だと思います。着物を着ているのに大股で歩くと、やっぱりブサイクなんですよね。そうならないように佇まいもヘアセットもピシッとする。すると「能楽師らしく」いられるんです。今ここで話しているみんなも「らしい」でしょう?「自分らしい」「みんなが思う『僕』らしい」……それって大事なことだと思うんです。
曽和さん 京都も「京都らしく」あることが大事だと思う。京都って、汗だくで必死に走るのではなく、涼しげに歩く感じがするじゃないですか。それを意識していれば、いろんなことを巻き込めると思いますよ。環境問題も「らしく」ある姿勢がまずは大事ではないでしょうか。
三木さん 確かにそうですね。「らしく」って、名前が深く関わると思うんです。僕はこの間「表悦」という名前に変わって実感しましたが、人が変わるときって名前や役職が変わるときなんですよ。社長になれば社長らしくなるし、「DO YOU KYOTO?ネットワーク」の大使になれば大使らしくなる。だから自分が一歩変わりたいと思うなら、「私はこの町内の、自然環境大使です」と自分で名乗ってみるのはどうでしょう。それだけでもずいぶん意識が変わると思いますね。
土門 こちらにいらっしゃる皆さまからそのようなお話をうかがうと重みを感じます。だけど、すぐにできそうな「変化」ですよね。今日はありがとうございました!
取材協力:engawa KYOTO
京都の伝統文化 × 地球温暖化防止
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