撮影:佐々木 明日華
国や時代を超えた、ものと出会う楽しみ。「平安蚤の市」で起こっている循環とは?
撮影:佐々木 明日華
市内最大規模の劇場をそなえたロームシアター京都が隣接し、南には京都市京セラ美術館に京都国立近代美術館と、京都のなかでも屈指の文化・交流ゾーンとして知られています。
そんな岡崎公園一帯で、月に1、2度開催されている「平安蚤の市」。府内外からプロアマ問わず古いものの「めきき」が集い、日本の古物から海外のアンティーク、ときにはガラクタと呼ばれるようなものまで、多様なものと店、人が集まります。
そんなユニークな市を立ち上げたのは、北欧の古いものを中心に、ヨーロッパの古道具を扱う店「soil」(現在、移転に向け閉店中)を営む仲平 誠さん。古いものを売り、買う楽しさのさまざまなつながりについて、お話を伺いました。
10代で出会った古いものの魅力
−−古道具を扱うに至ったきっかけを教えてください。
ルーツで言うと、右京区にある嵯峨野高校に通っていました。僕が学生の頃は私服の学校だったので、安く買えて、表現もできる古着に自然とハマったんです。そうすると古着屋さんに置いてあるアメリカから仕入れたお皿とか、インテリアのライトとかも気になってきて買ったりして、どんどん古いものにハマっていきました。多分感覚的にというか、本能的にというか、古いものが好きだったんですよね。
そのうち、北野天満宮で毎月25日に開かれる「天神市」と呼ばれる骨董市があるんですが、そこにクラブの朝練の前とかに通い始めました。1,000円ぐらいしか使えないんですけど、歩き回って買ったりしていて。それが楽しかったんでしょうね。高校を卒業してからは、出店しているおっちゃんに「どうやって出すの?」とか聞くようになりました。
古着とか古い雑貨はたくさん持っていたんで、友だちと一緒に売って小遣いにして、また買って……。自分たちの服や雑貨を循環させるために売り買いを始めたんです。当時はまだヤフオクもなかったので、フリーマーケットが結構あって。大阪の南港のフリーマーケットが関西で一番大きくて有名なんですけど、そこにもわざわざ行っていました。
そうこうしているうちに、京都リサーチパークでフリーマーケットが始まって、開催初期から行き始めたんです。まず朝一番に会場全体をまわって、500円ぐらいで売っている服や2,000円ぐらいのレッドウィングのブーツとかをささっと買ってから並べて、売っていました。
−−かなりグレーな売り方ですね(笑)。
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に進学したんですけど、やっぱり古いものが好きで、卒業後は美術の仕事というよりもアンティーク屋でアルバイトを始めました。
アメリカでは米軍基地から使われなくなった家具を放出されるときがあって、それらを業者がセリをして落として売る、という流れがあるんですけど、そういったものに携わっているお店でした。働くとまたどんどん古いものが好きになってしまい、20代後半は古美術商でサラリーマンをして。スーツを着て、百貨店に高額の古美術を売るような仕事をしていました。その後自然な流れで、30歳で独立しました。
あとは、もともと旅も好きでした。『最後の晩餐』っていうレオナルド・ダ・ビンチの絵画が好きで、どうしてもイタリアに行きたくて、20代の頃はアルバイトを3つ掛け持ちして行ったり。旅好きと古いもの好きが合致して、今のヨーロッパで買い付けする古道具店になったと思います。きっかけというより、趣味の積み重ねですかね。
ものは、見出す人によって価値が違う
−−「天神市」やフリーマーケットでの出店、古美術商での仕事などを通して感じてこられた、古いものを”売る”魅力とは何でしょう?
ものって、持つ人によって価値が変わるものなんですよね。たとえばある職人さんが、どうしてもほしい刃物があるんだけど、現代はつくられてないとします。それは有名な刃物工房のもので、過去にものすごい名人のような人がつくっていた。でも、その工房をたまたま引き継いだ子どもにとっては、まったく価値のないもので、処分したいぐらいかもしれない。けれど必要としている職人にとっては、10万円払ってでもほしいものじゃないですか。だから、価値ってそれぞれあるというか。そう思うとものって長生きだし、人間より長生きしたりするので面白いなと。服も同じで、今日かぶっている帽子は、フィンランドの蚤の市で子どもが1ユーロで売ってくれたんですけど、僕は2,000円だったとしても買ったと思います。価値にはギャップがあるので商売としても楽しいし、わくわくするんですよね。本もそうだと思います。本ほど人によって価値が変わるものはないと思う。その究極がアートですね。
それから、古道具屋の仕事って「よく見せる」ことなんです。捨てられているものでも壁にかけてみたら、よく見えて3,000円に変わったりする。そうするとまたものが捨てられずに、価値が見出されて、日本にまで循環するじゃないですか。
−−それは、どんなものを扱っていても見出せそうな面白さですね。
ものづくりって、どんどん加速していく一方ですよね。経済活動のひとつだし、その時代によって必要なものが変わるのでつくられ続けるんですけど、そうすると当然、不便だからもういらないよねってものも生まれるじゃないですか。そういうものでも意外と、10年後にはまた価値があったりするんです。僕はそこに、魔性の魅力を感じます。
自由に人やものが集う「平安蚤の市」
−−魅力をより広く集めて伝える役割が、蚤の市にはあるように感じます。
古物、古道具、古着とお店を持っている人、もしくは店舗はなくてネットショップの人もたくさんいるんですけど、そういう人を市として集めることによって、お客さんが来やすくなるというのが一番のポイントです。ちょっとおっかないですよね、古美術のお店に入るのとか。薄汚れた古書店に入るのもドキドキするんですけど、開放的な場所で市にするとみんな来やすい。あとは、地方だったら売れなかったものも、京都だったら売れるってこともあるんですよ。やっぱりここでやる意味っていうのはすごくあると思ってます。
−−「平安蚤の市」の始まりは2019年。どういったきっかけで立ち上がったのですか?
海外のフリーマーケットやアンティークマーケットに行くと、アーティスティックに展示をする人がいるんですよ。錆々のただの箱とかをすごくアーティスティックに展示していて、そうするとそのものがよく見えるんですよね。そういう見せ方が上手いのは若い人が多くて。なかには年配の人もいるけど、年齢差による見せ方の違いはやっぱり感じます。
京都には僕も10代の頃から通った「天神市」とか、東寺の「弘法市」とか、全国的に有名な骨董市はあるんですけど、若干若手が少なかったり、中に入りにくかったりする。売っている商品は日本の骨董や古道具が中心ですし、店を出すにも紹介制なんですけど、ホームページも特にないし、僕みたいに海外で仕入れてくるような若い人は入りにくい。そういう人ももっと気軽に入りやすくできたら、もっと違う雰囲気の骨董市ができるんじゃないかと思いました。ちゃんとホームページもつくって、募集サイズや金額も明確にして。そうすると、まだ出店し始めたばかりの若い女性のアンティーク屋さんも出やすくなるし。
−−となると、主宰である仲平さんがお店を選んだり、出店をお断りしたりという基準はない?
商品がどうだからとかは、本当になくて。ガラクタを売っているおっちゃんの横に、アーティスティックに表現して、かわいいものを売る若い女性とかがいたほうがいいと思っています。買い手のなかにはどっちにも価値を見出す人がいるので、みんながおしゃれすぎても、ガラクタすぎてもダメで、両方いるのが面白いと思っていて。おしゃれな人ばかりとか、ベテランばかりにならないように平均的にするのだけは意識していますね。
ひとつ問題なのは、今ちょっと人気が出てきて、出店者の応募が多すぎて入らないのでお断りすることもあること。その場合は、基本的に盛り上がる前から参加してくださっている方がどうしても優先にはなります。
−−場所を岡崎公園にされたのは、何か決め手がありましたか。
うまくいったら来場者が増えるのは予想できていたので、地下駐車場とか交通機関とか、設備の問題ですね。イベント自体は以前もしたことがあるんですけど、搬出入に大きな車が出入りするので、その問題が解決できないとダメだと思っていました。
あとは、僕の地元にすごく近いこと。朝イチで散歩されているなかには地元の方とか、うちの町内の人も多いので、みなさん「仲平くんがやってんだな」と温かく見守ってくれているんですよ。車が入ってきたらどいてあげようとか、地元の有利性もあって、ここはベストかなと。
−−平安神宮近くなので、府外の人も場所をイメージしやすく、京都らしさも感じます。ちなみに名前を「京都」ではなく「平安」とされた由来は?
すでに歴史ある骨董市があるので「京都」という冠は恐れ多いなと。「岡崎」と地域すぎると全国的には伝わりにくいのもあって「平安」にしました。「平安蚤の市」だけでとくに宣伝もなく何をやっているイベントかわかるので。
さまざまな「眼」が、新しい価値を生む
−−始められてから5年の間で、変化はありましたか?
出店者の顔ぶれは、新しい若い方も踏まえゆっくり増えてきてる感じですね。始まってすぐコロナ禍だったので、海外のお客さんがまったくいない状態で数年やってきて、去年からやっと増え出しました。日本の方にとってはいらなくても、海外の方が買ってくれるとものは生き続けますよね。なのでいろんな国籍や、価値観を持つ人が来ることが大事だなと思っていて。今から海外に向けた宣伝ももう少しどうにかしたいなと思っています。
−−また京都は、伝統的な文化や骨董など古いものも多く、蚤の市を面白がる人が多い土地のように感じます。
古いものや伝統が好きな人もですが、全然違う新しい角度の感覚のものもすっと入る人も多いんです。古道具の業界だと、意外と変わったことをし始める人が、東京より京都にいたりするんですよ。
−−たとえばどんなことでしょう?
2000年代って、バブルの反動からだと思うんですが、全体的にオーガニックやナチュラルがブームだったと思うんです。ファッションでも無地柄が人気で、麻やリネンとか素材を重視する人が多く、食もできるだけ無農薬とか。古道具も一緒で、白い器に木のものと、シンプルなものがずっと続いていました。でも最近に入って、プラスチックやカラフルポップなものを置く業者が増えてきました。僕もその一人なんですけど、それって京都から動き出したんですよ。
新しいことをつくるときは、一度過去を破壊しないとダメなんで、若干否定的に見えることが多いんですね。たとえばリネンのワンピースを着て麦わら帽子を被った人にとっては、急に蛍光オレンジのナイキのジャージを着ることなんて「NO」じゃないですか。それを受け入れさせる行為に近いので、難しいことなんです。けれど、そうした新しいブームを仕掛ける人が、自然と京都には集まっています。
−−それは出店者同士でも刺激の受け合いになりそうですが、仲平さんから見ていて、印象的だった光景はありますか?
今までだったら古伊万里とかを持ってきていた年配の出店者さんが、若い人の店を見て、プラスチックのチープなものを持ってきたりするんですよ。逆に若い世代の方も新しいことをやってみようと、土の壺を出店してみたり。今まで自分になかった価値が見えるときって、その分いいと思える価値が増えるので、まさに狙い通りじゃないですが、嬉しいことですね。よりいい循環というか。こういうのも売れるんだって気づけたら「うちの蔵に残ってて処分しようと思ってたけど、売ってみようかな」とかつながるじゃないですか。ですから、出店者も年齢や国籍の幅があればあるほどいいんじゃないかなと思っています。
この間は南米に行ってきた人が店を出されていたんですが、全然違うものなので興味深かったですし、ドイツに行く人や北欧に行く人と、さまざまな人がものを持ってくるので、普段とは違う刺激をし合っているんじゃないですかね。
−−まさにいろんなものがミックスされていて、「平安蚤の市」はいい意味でカオスな雰囲気を感じます。ここまでいろんな国のものが並列に並んでいるところは、なかなかないのではないでしょうか。
おそらく、日本人の「眼」のおかげだと思います。僕も北欧で「こんなの誰が買うの」ってものを仕入れてくるんですが、現地の人は価値を見出していないところに、日本人だから見出せるものがあるはずなんですよね。古着もそうで、最初に「リーバイス501」に目をつけたのは日本人だと言われています。今では向こうがヴィンテージで買い直しているぐらい。フランス製の真っ白で、ナイフの跡だらけの皿に美意識を見出したのも日本人ですし。日本は島国で、すべてが異国情緒たっぷりに見えるので、おそらく違う目線でものを見ているし、同じものを持って帰ってきても違う見せ方ができて、独特な雰囲気になっているんだと思います。
その上、公園の芝生のおかげで開放感があるんです。明るい雰囲気のおかげで、どんよりしたものも、変なものも軽い気持ちで見られる。僕は結構いろんな国のアンティークマーケットに行っているんですけど、「平安蚤の市」は日本人特有の「眼」や「感覚」を持ってさまざまな国のものが集まっているという点が特別な個性のように感じています。だから、とても楽しめるんだと思います。パリに行くと、蚤の市が旅の目的のひとつになっているじゃないですか。この市も、観光資源として、そのぐらいのレベルになっているんじゃないかなと、手前味噌ですが可能性を感じています。
“場があること”そのものが、環境問題へのアプローチ
−−仲平さんご自身も、中学生の頃にバブル期の激しい消費社会を見た経験から、もともと「ごみを出すのが嫌だった」とおっしゃっていました。古道具を売買する際、環境問題に対し意識されていることはありますか?
もし世界に古道具屋、古本屋、古着屋がなかったら、みんな捨てるしかなくなります。店があるから渡せて、架け橋になっている。地域によっては売る場所がない人、売る力がない人もどうしてもいるので、そういった人たちが出店できる蚤の市という場所をつくったこと自体が、すでに環境に対するアプローチになっていると思いますね。
場があることで地方の古書店や古道具店もなくならなくて済むし、その地域の人も処分したいものがあれば持っていけます。売る場がないとものは減らないから捨てていくしかないし、やめていく同業者もたくさん見ていますが、そういう人たちが「平安蚤の市」に出店して、京都だったら売れて、やっていけることもある。世界にこれほど骨董市や蚤の市があるのは、そのこと自体に意味があるからだと思っています。
それから、骨董市や蚤の市って文化的な要素も大きくて。過去につくられた素晴らしいものをたくさん見る場所です。江戸時代のお皿でも、いいものは捨てられずに100年以上残っているわけですよね。それってものづくりをする人たちにすごく刺激になると思っていて、いいものをつくるとやっぱり捨てられにくくなるし、大事にものを使うことにつながると思うんです。ですから、蚤の市は結構アイデアソースの場所でもあると思っています。強引かもしれないですけど、環境問題に関係させるとしたら、いいものをつくることにつながったり、「環境に負担の少ない素材でもつくれるんだとか」気付けたりするかもしれません。着物なんてまさに、リサイクルしやすいようなかたちですし。
−−とくにこのあたりは美術館も多いので、ものづくりに携わる人が立ち寄りやすいですね。また、ここにしかないものが多く並ぶので、買う側も「めきき」になった気分になれる気がします。同じ中古品でも、フリマサイトやオークションサイトで探して買うのとはまったく違う楽しさがあるのではないでしょうか。
すごく上手にディスプレイして、ものの魅力を引き出しているお店から「このコップいいね」って気づくとするじゃないですか。そのあと、その価値を全く見出していない別の骨董屋さんで同じものを100円とかで見つけたら、余計に嬉しい。その方はすでにその魅力に気づけたから。こういうことの繰り返しなんですよ。
−−まさに場があることが重要ですね。
ほかにも不思議なもので、蚤の市のような場所だと過剰な梱包も求められないんです。デパートで2万円分買ったら、いい袋に入れてほしいじゃないですか。ここだと食器でも、ビニール袋に新聞紙で良くて、買い手も自然と許せるような気持ちになるんですよ。エコバックを持ってきてくださっている方も多いです。
−−なにか新しいものが必要なとき「こういった場所だったらもっと面白くていいものが見つかるかもしれない」と気づけると、また自然とものの循環にもつながっていくように感じました。今日はありがとうございました。
古道具店「Soil」店主・「平安蚤の市」代表
1978年、福岡生まれ京都育ち。京都市右京区の小学校〜高校に通ったのち、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)洋画コースを卒業。アンティーク店や古物商勤務を経て、2009年、北欧・ヨーロッパの古道具を扱う「Soil」を開業。2014年〜2017年、「京都ふるどうぐ市」(元・立誠小学校)を開催。2019年、「平安蚤の市」(岡崎公園)を開催。 仲平 誠の記事一覧へ >
アンティークマーケット
平安蚤の市は、京都市左京区にある平安神宮前の岡崎公園で毎月開催される蚤の市です。100店舗以上が出店します。誰かにとって不用になったものを、次の誰かへつなげる場としてスタートしました。リサイクルすることでゴミを減らすことへ繋がり、少しでも環境問題に貢献できるイベントを目指します。また、世界中の古いものを愛する人たちで賑わう文化交流の場として、京都から日本の文化を発信します。 平安蚤の市の記事一覧へ >
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